もう一つ

自らの"輝き"を探っている中でふと思い出したことがあって再び忘れないようにココに書き示す。

 

 

 小学1年くらいの時の夕方ころかな家族でテレビを見ていた。画面には九州だかそっち側のなんか映像が流れていて「行ってみたいなぁ」なんて話をしていて誰に何を言われたかは今となっては覚えていないのだが何故か一人行く気マンマンとなってしまった。

無論10年も生きていない子供一人どう考えても到達できる確率は0%。そして家族で飛行機なんぞに乗って旅行へ行けるような家庭でもない。でもその時は謎の全能感にあふれていたのか家を飛び出してしまった。財布に小銭、足は自転車なのにね。

飛び出したはいいけど九州の行き方どころか距離感もわからない。まず空港がどこにあるかもわからない。でも、いつもの町内をこえてひたすら走らせていた。しばらくして血液が一周したのか妙に冷静になって「コレ、絶対に行けないだろう」ってのがわかってくる。そうしているうちに母親に見つかってしまい怒られるのを覚悟したのだが

「どこまで行ってきたの?」とか「もう帰ろう」とかそのような言葉ばかりで不思議に思った。まぁ、叱るのは親父の係なのだろうか?とか疑問を持ちつつ帰宅。親父も姉も探しに行ったようで家には誰もいない。母親もまた外に出てしまうしで本当に一人になってしまった。

そうしているうちに親父が帰宅。説教の準備かと思ったが不思議な事に何も起こらず。むしろ

「帰ってきたのか」とかそんな普通の言葉を言われた気がする。

普段ささいなことでいきなりキレだしたりする親父だったので今考えると恐ろしいほど不思議な話なんだけど真相がつかめない。そしてあれから20年近くたった今その真相を知りたい自分が出てきた。次回実家に帰った時に聞いてみようと思う酒でも持って行って。

 

もう

"もうshigeoではない"

という言葉がちょろっと前耳に入ったがこの言葉が消えた時に本当にshigeoではないんだろうなと思う。

グローバル化って言葉が生きているうちはグローバルな世界ではないような様。

まぁ、それはいいんだ。

 

 

最近、輝きを考えている。誰もがあると思う"アノ時の自分は輝いていた"っていうヤツ。

それを回顧して今現在のうだつのアガらないと比較して暗くなるのはその人の勝手なんだけど

それは置いておいて。周りから見ても自分から見てもアホだなぁとしか思えないことでも

その時は最高の気分だったのではないでしょうか?って言うアレね。

自分にも当然あるんだがいろんな人の"輝き"を聞き入れたい。

ヒヨってきた

ドラマとか漫画とか何でもいい。とにかく世間一般的であろう結婚した人の日常。

ぱっと思いつくであろうアノ雰囲気だ。ちょっと前の自分なら

「なんだかぱっとしねぇな。俺はこんなふうになりたくねぇ」

とかその平凡さ、普通さに侮蔑的な目で見ていたのだがココの所最近それに

憧れを持ち始めている自分がいる。

 

大きな理由はよく分からないがマイナスなところから見ていくと上記の平凡さが

いわゆる"ショボい"ように見えていたのだが自分はただの日本人。

非凡さなど持ち合わせていないという現実をやっと直視できるように

なってきたのだと思う。(平凡がショボいように見える話も今度少し)

 

そもそもが平凡なんかとか言っているが云十年その家族はその生活を続けている

状況が平凡であろうがなかろうが並大抵のことではない事に気がついたのだ。

 

不良が落ち着くように。岩が削れて丸い石になるように。自分もこれからどうなる

かが見えてきたということかそれともただ単に一人が辛いだけなのか。

よくわかりません。